適材適所 2008年5月8日 法隆寺や薬師寺などの宮大工の棟梁として有名な西岡常一さんの著書、宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み (日本経済新聞社発行)によると、 法隆寺金堂の解体修理時、柱や各部材の寸法を計測・記録されたのですが、飛鳥時代に建築されたものは、どれも寸法がばらばらで一つとして同じものがない一方、後の時代に修理されたものはみな同じ寸法で間隔も規格通りだったそうです。 現代の建築技術からすれば、寸法がばらばらな飛鳥建築は一見いいかげんに思えますが、実は・・ 「お寺は南側が正面になる。飛鳥建築のその正面の柱は、今の通念からすれば見栄えが悪い。節が多いのだ。あえてそれを南に向けている。 これには理由がある。 木には陽おもてと陽うらがある。南側が陽おもてで、木は南東に向かって枝を伸ばすから節が多く、木目は荒い。陽うらの方が木目はきれいに見える。 切ったあとも、木の性質は残る。 日光に慣れていない陽うらを南にして柱に据えたりすれば乾燥しやすく、風化の速度ははやくなる。・・・ 山の頂上、中腹、斜面、南か北か、風の強弱、密林か疎林かによって木質は異なる。そうした木の性も考慮に入れてみごとに使い分けた。 まさに、適材適所を実践している・・ 生育条件によってねじれや反りもまちまちな木の癖を見抜き、右に反る木と左に反る木を組み合わせて力が相殺されるように用いる。 木の自然の環境をそのまま活用しているのが、寸法や規格に従って切ることでは出来ない美しいバランス構造を生み出した」 ということなのです。 木材の補強に鉄を使う方法に対して、鉄のボルトを通すためにヒノキに穴をあけると「ヒノキが泣きよります」と言われ、大工さん達の心をつなぐには「自ら汗し、命令せず」が一番と言われた西岡棟梁が亡くなられて10年以上経ちますが、この本を読後に法隆寺や薬師寺を訪れてみると今までとは違った見方ができそうです。 ちなみに、徳川家康が大阪城の金銀を使わせて戦の前に弱らそうという魂胆で修理を命じた慶長年間の法隆寺の修理が一番お粗末だったそうです。家康の裏をかいて安上がり、手抜き工事を行ったためなようですが、「仏法の世界に政治が介入するとロクなことはない」とも西岡さんは言われています・・・
生存競争(1)
2008年5月21日4月末のことですが・・・ 以前鳥に巣を作られてしまった雨戸のあたりが再び・・鳥の羽音で騒がしいのに気付き、雨戸の隙間から戸袋を見てみると、既に戸袋内にはすっかり枯草が敷き詰められ、さらに水色の卵まで産み、親鳥が暖めモードに入っていました。鳥が出入り出来る戸袋の穴はテープで塞いでいたのですが、そんなものはとっくにはがれていたようです。調べてみたところ、黄色い嘴と足から、巣の主はムクドリのようです。 こうなったらまたしばらくは大家をつとめるしかなさそうか・・とあきらめたその夜7時を少し過ぎた頃。 丁度巣の下あたりの外で何やらドタッ、ドタッという音が聞こえます。最初はお隣が何かされているのだろうと思っていたのですが、9時頃になっても断続的に音は続き、さすがにおかしい(と気付くのがいつも遅いですよね・・)と、そっと覗いて見ると、 猫にしてはあまりに細長い胴体の動物(おそらくイタチ)が数メートルの壁を登って戸袋に到達しようと試みては壁から落ちているではありませんか!ドタッという音は壁から落ちる時の音だったようです。 お腹を空かせてエサを狙っているのはわかりますが、これは大家としては店子を守らねば・・と外に出たところ、速効逃げるかと思いきや、余程あきらめきれなかったのか「あとちょっとだったのに・・」とでも言いたげにこちらを数秒見つめた後、後ろ髪を引かれるように去って行きました。 それにしても、2時間近くも壁のぼりにチャレンジ&失敗を繰り返すとは、これぞまさにハングリー精神。 危険を察したトリはしばしパニックに陥っていたようですが、一難去って安心・・と思いきや、その後、たいして厳しい環境とは思えない我が家の周辺でも自然界で生き延びるのは大変なのだ・・という出来事が・・・
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